Something Blue (A Wedding Portrait)

Something Blue (A Wedding Portrait)

2012-07-05

1Q84 - A Letter to Ms. Y (Yさんへの手紙 - 村上春樹『1Q84』/空気さなぎの解釈)



How are you?

After the long rain about a week, I'm enjoying this lovely weather under the blue sky.
What a beautiful winter season in Brisbane!

It's been a while since I updated this Art Blog.
I've been painting the Story Bridge again and I just finished it.
I added the moon in the painting inspired by the novel "1Q84" .
This is the typical crescent moon in Brisbane looks like a dish.
We never see this angle of the moon in Japan.
When I saw this shape of the moon for the first time in here, I just had a feeling something is wrong!

A while ago, I unexpectedly met a person again on e-mail after 27 years!
She saw my painting on the web by chance, she also found my Art Blog and e-mailed me.
We first met in Tokyo in 1985.
I was just reading Haruki Murakami's novel "1Q84" at the same time she e-mailed me.
This is the part of the letter I e-mailed her about 2 months ago.

Spoilers ahead!
If you don't mind that, then read after highlight the text to read it (colour inverting).
If you don't read Japanese, please don't worry about it.




みなさん、お元気ですか?

先週の1週間に渡って降り続いた長雨の後、雲一つ無い青空がここブリスベンに広がっています。

久しぶりにブログを更新します。
今回の新作は、またもストーリー・ブリッジ。
先日読み終えた、村上春樹氏の"1Q84"に触発されて、画面上に月も加えてみました。
この三日月の傾き具合は、ブリスベンでよく見られる角度なのですが、日本では全く見られません。
ぼくは、この角度の三日月を初めて見たとき、とても違和感がありました。
オーストラリア人に三日月を描かせたら、きっとこのお皿みたいに描くでしょう。
日本人だったら、もう少し立てて描きますよね~、花王のマークみたいに。

さて、少し前になりますが、ある方と27年ぶりにメール上で再会することができました。
Yさんとぼくは、丁度この小説の設定の時代に仕事場を通じて知り合っています。
Yさんは、ネット上で偶然にぼくの絵を見かけられたそうです。
そしてぼく宛にわざわざ連絡をしてくださいました。
アート・ブログを始めて良かったと本当に嬉しく思います。

以下の手紙は、今から2ヶ月程前にぼくがYさんに宛てて書いたものの一部です。
小説を読んだ皆さんとも共有したかったので、Yさんには了解を得て、ここに公開します。

※注意: この先、1Q84についてのネタバレがあります。 
大丈夫な方はドラッグ(反転)して読んでください。
最後部には、この絵の説明などのコメントを載せていますので、反転部分を読まない方は飛ばして下さいね。

Yさん


お元気ですか。
こちらはめっきり朝夕と冷え込む季節になりました。
でも、日中は暖かいのでとても過ごしやすく、晩秋から初冬にかけてのこの時期はぼくの大好きな季節です。
先日は印象深いメールをありがとうございます。とても深く何度も読ませていただきました。それから、ぼくのブログについても触れていただいてとても嬉しく思います。

さて、先日やっと1Q84を読み終えました。
実は、Book 1では物語にあまりリアリティがなく感じて、そんなにはのめり込めなかったのですが、Book 2からは、それまで伏線だった話がどんどん互いにリンクしはじめ、読み進む度に面白くなり、さらにちょうどその頃、偶然にYさんからご連絡をいただいたこともあって、そこから先は、小説の世界にどっぷり浸かりながらBook 3まで読み終えました。


読み終えての感想ですが、さすがに人気作家らしい読みやすさと、まるで映画を観ているかのような美しい作品構成でした。
ただ、あまりにクールでその軽快な描写に騙されてしまいそうでしたが、読者への問題提起は相当に深いものを感じました。
その後ぼくは、村上春樹氏が小説家である自身について『虚構を借りて真実を語る者』と表現していたり、さらに「考えを読者と分かち合うことによってのみ自分が存在している」と話しているのをYouTubeで観たりしました。
今や彼の発したメッセージは、現実に世界中の読者によって共有されてますよね。
40ヵ国以上の別の言語に翻訳されているらしいですから、凄いですね。
ぼくなどには想像もできませんが、本人には信念を世界に発する相当な高いレベルでの自覚と責任感があるのだろうと思います。

ぼくは、小説を含め様々な芸術に接するときに、あまり作品自体を分析することに惑わされずに(元来分析好きなのですが...)、その作品が自分に訴えかける真実とは何かという命題について、これまでの自分が生きた経験をその作品に重ね合わせて考えたいと思っています。
これは誰もがその人にしかできないという考察ですから、普遍性のある方法ですよね。
そして、これは僕自身が作品を創るときにも心がけています。
世の中の自然や創造物に接したとき、自分の中で沸き起こる”心が揺さぶられる現象”(好き、嫌いに関係なく)に
自分なりの見解を持つこと。
その意味を考えるプロセスがとても重要だと思います。
だからこうやって小説の感想を書くことなどは、とても意味のあることだと感じます。

ぼくは絵描きの端くれですが、また同時に一般の生活者として自分なりにある一定のフィルタを通して世界を見ていると思います。
それをできるだけ社会の観念を取り去った状態にまで見る目を昇華させて、作品づくりに取り組みたいと思っています。
それはなかなか難しいのですが、描きつづけることによってのみ、突破口が開けるという感覚があります。
そして何かを掴み、画面に表現し、社会へ向けて発信するとき、意識するしないに拘らず何らかの強いメッセージが作品に込められていると確信します。

芸術家には、ものごとの真実のある側面を社会に投げかける重要な役割があるとぼくは考えます。
世の中の大多数の人々が生きていくために自由に表現できないことでも、しがらみから独立している身なら世の中へ向けて、自分の心からの考えを自由に発信できます。
自分が発したことは、ほとんどの場合自分で責任が取れるからです。
もちろん、真実は一つだけではありませんし、多数の芸術家の作品には個々の生きざまによってそれぞれの断片が自然に表現されるものだと思います。
ただ、勇気と覚悟と志をもって、事に当たる必要があります。
ぼくは世の中に対して、できるだけそういう姿勢でいたいと思います。

さて、Yさんが話しておられた、空気さなぎの解釈ですが、本当にこれは難解ですね。以下は僕なりに考えた見解です。
まず小説に出てきたリトルピープルの説明ですが、ぼくはリトルピープルとは、この世に存在する、思想における善悪の象徴のようなものではないかと考えました。

西洋思想の善悪の象徴:
ギリシャ的4元徳(思慮と叡智・正義・忍耐と勇気・節制)
カトリックの定義する人間の7つの原罪(傲慢・憤怒・怠惰・強欲・暴食・色欲・嫉妬)

東洋思想の善悪の象徴:
儒教の八徳(仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌)
仏教の煩悩(108も!)

世界中にはまだその他の思想が山のようにありますから、まるで誰が読んだとしても、その人がリトルピープルをイメージしやすいように考えてあるかのようだとも思いました。
『知覚するものが空気さなぎの中のドウタ、それを受け入れるのが作らせた自分であるマザ。』
もしそうであれば、彼らが作る空気さなぎの中には、それぞれの我々個人が見なければならない幻覚が入っていることになります。
『幻覚も信じれば本物になる。』
こう考えると、我々は幻覚を信じながらそれぞれの作り物の世界で生きて、そして死んでいく存在なのかもしれません。
我々ができることは、この命を懸命に生きて、それをほんの少しだけ良いものにして、次世代の命に繋げてゆくことなのでしょうか。
我々は誰でも懸命に生きるための”生きがい”が必要ですよね。
もしかすると、その”生きがい”が空気さなぎの中にあるのかもしれません。

ところで、『空気さなぎ』の本があったとしたら、実際に読んでみたい気がします。
そうすれば、もう少し良く分かるかもしれませんね。

最近になって、オーストラリアでも1Q84の翻訳本が発売され、とても話題になっています。
オーストラリアでの宗教はキリスト教が主ですが、これがカトリック系とプロテスタント系に新興宗教やカルトまで合わせると、もの凄い数の宗派がこの国に存在します。
それに加えて多民族国家ですから、その他の国々のキリスト教も数多く共存しています。
さらに、イスラム教やヒンドゥー教や仏教があり、創価学会の支部まで近所にあったりします。エホバの証人の方々は時々自宅へ訪問してきます。
少し脱線してしまいましたが、この小説の青豆におこる処女懐胎(特殊懐胎)について、当然のごとくキリスト教の母体国家の人々は、新約聖書の中に出てくるマリアの処女受胎を連想する様です。

私の妻は、スコットランドのプロテスタントが先祖の家系なのですが、本人はもう教会には礼拝には行きませんし、彼女の両親や兄弟も同様に宗教に対してそれほど強い信仰があるわけではありません。
ただ、オーストラリアの社会全体にキリスト教的なものの考え方が定着していますから、一般的に日本人からはだいぶ ものの捉え方が違います。
主体性(西洋)と協調性(東洋)がそれぞれ相反する見方の主な代表例だと思います。

妻の誕生日が6月の上旬なので、1Q84の英語版をプレゼントしようと思っています。
彼女なりの感想を聞くのが楽しみです。

この小説を読んだことによって、そして現実にYさんとの思いがけないメールでの再会によって、もう一つしまい込まれていた、ある記憶がリアルな感情とともに蘇って来ました。
それは1985年当時、新宿のSビルで一緒に働いた女性に恋をしたことです。C.Tさんですが、Yさんは彼女のことを憶えておられるでしょうか。
彼女との出会いは、その後ぼくが生きる上でとても大きな影響を受けた出来事の一つになりましたから、今でも強烈に印象深く思い出されます。
一方的な片思いでしたが、彼女はその当時、大学浪人生だったぼくの生きる心の支えでした。
彼女が米国に旅立つ時にぼくに言った『生きていれば、またどこかで会える』という言葉はもう叶うことは無いかも知れませんが、きっとどこかで幸せに暮らしているだろうと信じています。そしてまたそう祈っています。

すみません、長いメールになってしまいました。

最後に、家のベランダの軒下に棲むポッサムのことですが、時々娘と一緒におやつ代わりにリンゴを切って与えています。
とても喜んで、おいしそうに食べてくれます。
それから、家族同様に一匹の雌犬も飼っていますよ。
名前はシェルビーといいます。
中型犬ですが、とても甘えん坊です。
最近は夜中に寒いので、一緒にベッドで寝ています。
Yさんも、わんちゃんと一緒に暮らしているんですね。

それでは、お元気で。
日本はこれから新緑が眩しいとてもいい季節ですね。
また、メールでいろいろお話ししましょう。
おやすみなさい。

緒方 慎二

掲載した絵のタイトルは、"Story Bridge with the crescent moon"です。
サイズは、47.4cm×70.8cm。

最上部のものは、ボールペンでの一発描きの段階です。
思ったよりかなり時間がかかりました。
着色は、水彩に加えて今回アクリル絵の具の蛍光色も使いました。
画像ではあまりライトアップの感じが出ていないのが少し残念。

今は目の状態が思わしくないため、液晶テレビ画面に写真を映して、それを見ながら度数の高い老眼鏡を掛けて描いています。
6月に予定していた日本でのレーザー近視治療の再手術は、来年の1月に持ち越されました。
もう暫く、野外でのスケッチはお預けです。
スタジオのみの制作は、この素晴らしいブリスベンの気候の時期には本当にもったいないですよねぇ。

2012年 7月 5日

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