Hi, how are you?
Spring has come in Japan, and the short Autumn is just around the corner here in Brisbane.
I finished the painting that I was ordered the other day.
I managed to add a dog to a picture of a mother and son.
I hope it looks natural.
I love to paint portraits.
We (as humans) are always sharing our feelings, aren't we?
As our sharing becomes closer or deeper, I think our happiness grows.
If I draw someone really hard and try to approach, their features or expressions (sometimes it goes well and sometimes it goes bad!), this hard working is always worthwhile for me.
Because painting portraits is almost like communication (non-verbal) for me.
When I think I am successful and feel I can approach to the person with my painting, I am so happy because it's like we are sharing our feelings with the painted person.
On the other hand, good portraits are always reflected by the painter's feelings and thoughts.
I would rather say they are no longer portraits.
The great portraits that I like painted by Klimt or Modigliani, they don't have "a figure painting" feel any more.
My best portraits are "figure painting", but my nude drawing is not this way and I hope to create everything in an organic manner in the near future.
When I draw/paint someone, I prefer his/her profile most of the time, not exchange looks with someone.
I never try draw/paint my own portrait with this way.
Maybe next time I'm gonna try this with a triple mirror (I do not have any at the moment!).
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今年の日本の冬は、とても厳しかったようですが、皆さんの地域はいかがでしたか?
3月に入ったら 実質的にもう春です。これから、桜が楽しみですね。
一方 ここブリスベンは、もうすぐ短い秋の到来です。
朝晩は涼しくて とても過ごしやすくなりました。
さて、今回はご依頼をもとに制作した肖像画をご紹介します。
別々のお写真から、ワンちゃんを お母さんと息子さんの膝の上に乗せて描きました。
制作途中のモノクロと、完成画のカラーのワンちゃんのポーズが 変わっているのがお分かりでしょうか?
自然に違和感がなく 描けていれば、嬉しいのですが。
お客様からは、快く投稿をご了承いただきました。どうもありがとうございます。
昨年の年末から人物画を描く機会が続いていますが、元々ぼくは人物画を描くのが大好きです。
描いていると、自然に表情を出すことに いつもよりさらに時間を忘れて集中してしまうので、自分には向いているのかなと思います。
ぼくには、人物画を描くノリで 静物や風景も描いているような感覚があります。
この世の中の全てのモノには、文字通り『表情』があり、 ぼくはそれをより良く表現することに何とも言えない醍醐味を感じるので、制作途上の段階ごとにある程度の納得のいくいい表情が捉えられなければ、楽しみながら絵を描き進めることができません。
人物画には、分かりやすさと共に奥深さもあります。
絵画にはいろいろなアプローチがありますが、ぼくの場合はこうです。
人間は、他者と心を通わせたいといつも思っているいきものです。
心が深く通じ合えば、それと共に喜びが高まります。
この『共感』を絵に例えて考えると、 ぼくは、描く対象に向かって 非言語のコミュニケーションを図ろうとしているのかもしれません。
何とか実物に近づくように 形や表情を自分なりの方法で探ります(もちろん、うまく行くときもあればそうでないこともあります)。
この思考錯誤は、ぼくにとって大変に意義があるのです。
ある瞬間に、『これはうまくいったな』と思えた時、とても大きな喜びが体中を駆け巡ります。
描く対象との対話に通じ合えた瞬間、これは、まるで誰かと本当に分かり合えた瞬間に得られる感覚と とてもよく似ています。
ある知人の女性が言ったことを思い出します。
「人物画は家に飾ろうと思わない。でも、モディリアーニやクリムトのものは別だけど。」
なるほど、彼らの人物画は、人をモチーフにしているけれども、何か別の要素の印象が強く感じられます。
ぼくが好きな作家で言うと、マチスなども 人物を ある象徴と捉えているように思います。
もしかすると 特定の人物の表情を捉えようとすることを捨ててしまえば、力を抜いて人物画が描けるのかもしれません。
そうなると、肖像画は特定の人に似ていなくてはならないが、人物画はそうではないということになりますね。
これは、ある意味では当たっているでしょう。
今の時点での ぼくの肖像画に対する意識は、やっぱり 本人に似ているのはもちろん、その人物の良い表情をさらに深く探りながら取り組むべきもの だと思っています。
確かに ぼくが風景画を描く時、 絵の中の人物には、そこまで気を遣ったりしませんし、 ヌードのドローイングなどのように、あまり似せることを強く意識していないときもあります。
でも 広い意味で言うと、 全ての対象物は 表情を持つ有機体として描きたい と思っていることは事実です。
肖像画は、どうやらぼくにとっては 今のところ、特別な意識が働き、深く終わりのない対象との対話の中に成立するもののようです。
ちょっと思いつきましたが、一つ試してみたいことがあります。
三面鏡を使って 視線を外した斜めや横顔の状態で、自画像を描いてみたいと思うのです。
自分についての 新しい発見がありそうです。
と言っても、家には三面鏡がないから、今度 近郊にあるアンティークの家具屋さんでも 覗いてみようかな。
2014年 3月 12日(水)